ビデオゲームにシナリオは必須なのか Game Programmer's (web)Log

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ビデオゲームにシナリオは必須なのか

ITmedia +D Gamesの記事から。

ITmediaがおこなったアンケートによると、
「これからのゲームに求めるもの」のトップが、
「引き込まれるストーリー」であるという結果が発表されました。

まあ、もちろん、ITmediaを見ていて、なおかつ投票しようかと
思うようなユーザ(勝手なイメージでは、20代~30代の、
そこそこゲームで遊ぶ社会人ゲーマー)を対象にしている、
ということは念頭に置くとしても、これはゲーム制作をしている
人間にとっては結構ショッキングな結果だと言えます。

それはなぜかと言えば、ビデオゲームというものが、
そもそもシナリオを語るために生まれた娯楽ではなかったはずだから、
と私は考えます。

ビデオゲームに、シナリオや世界設定を持ち込んだ例として、
もっとも有名なゲームの一つには、言わずと知れた「ゼビウス」があります。
ステージが進むごとに、異なった敵、異なったフィールドが現れ、
プレイヤーに「もっと先が見てみたい」というモチベーションを与えた
という意味では、これがすごい発明だと言うのは、今さらここで
述べるまでもないことです。

当初は、ゲームを継続して遊ばせるための原動力として、
シナリオが付加されたという形式のゲームがほとんどでしたが、
いつ頃からか、それが逆になり、意図したものなのかどうなのか、
シナリオを語るためにその間をゲームプレイで埋める
というスタイルのものも増えてきました。

シナリオ中の舞台が城であるため、ゲームのステージにも城のステージを追加し、
シナリオ中に複雑な人間関係があるため、操作できるプレイヤーを追加し、
シナリオ中では主人公はひ弱な少年であるため、
行動時間に制約を追加するなど、こういった仕様追加や変更は、
昨今の現場では日常茶飯事として存在しています。

ゲームのデザインと、シナリオ中での世界観作りが、
うまくマッチしていれば、双方を高めあうこともできますが、
それに成功しているゲームというのはほとんど稀だと思います。
成功しているように見えるゲームの大半ですら、
ユーザの目には分からないような形で、さまざまな妥協を含んでいるはずです。
なぜならば、そもそも、ビデオゲームのデザインと
シナリオの構成の根本的な組み立て方がまったく異なる
からだと言えます。

シナリオを語るゲーム、という意味では、古くからあるタイプの
テキストアドベンチャーや、最近流行りのヴィジュアル(サウンド)ノベル
というジャンルがありますが、これにしても、純粋なシナリオとして考えれば
いろいろな無理を生じているのが分かります。

ミステリーもののアドベンチャーを例に考えてみると、
シナリオを書いた人が真に語りたい部分というのは、
「事件が何をきっかけに、誰がどのようにしておこなったのか」
「主人公はどのようにしてその事件と関わりを持ち、
どうやって真相に迫っていったのか」
「その事件をきっかけに、登場人物の気持ちがどのように変化し、
どのような結果を生んでいったのか」
などなど、いろいろとあるとは思います。
ですが、実際のゲームプレイの中では、そういった部分とは
まったく関係なく、わき道の「ハズレ」の選択肢を引かされ続けたり、
新しい目的地を探すために、ありとあらゆる人物に尋問を繰り返しさせられたり、
突拍子もなくパズルや謎かけに挑戦させられたりします。

もちろん、そういった行為自体が楽しいゲームというのが、
世間的に優れたアドベンチャーゲームとして評価されているわけですが、
ただ、それはシナリオを語る部分で楽しんでいるとは、
とてもではありませんが呼べる代物ではありません。

そういったことを踏まえると、本当に語りたいシナリオを表現するのに、
ゲームというメディアを選択することは、本当に幸せなことなのか?

という疑問にもぶち当たってしまいます。
シナリオに没頭させるための完成されたゲームデザインを持たぬまま、
安易にゲームに載せてしまうことは、そのシナリオを単に冗長にし、
持ち味を殺すことにつながる危険性すらあると考えます。

だからこそ、なのか、近年でシナリオが絶賛されたノベルゲームのひとつ
「ひぐらしのなく頃に」では、語りたいシナリオを歪めることなく、
意図通りに語りきるために、余計な選択肢、つまりはゲームが
ゲームたるためのデザインを全て否定している
という、
ある種ゲーム制作者が一番できないことをやってのけました。
皮肉にも、それが功を奏したのか、このゲームは空前の大ヒットを
記録することになったわけです。

単に、面白いシナリオを書きたい、表現したいというのであれば、
小説や映画のような、享受者に干渉の余地を与えない方法で
語るのが賢明だと思います。シナリオと強力に結びついた
ゲームデザインが揃ったときに初めて、映画や小説には表現できない
新しい娯楽が生まれるのだと思います。
そういうこともあり、私はいわゆる「ゲームシナリオライター」という
存在をあまり信用はしていません。
昨今のゲームで、シナリオが評価されている小島秀夫氏、須田剛一氏などは、
シナリオ考案をしている一方で、それを表現するためのゲームデザイン
すべて手がけているということを忘れてはいけません。

このアンケートで「引き込まれるシナリオ」に投票した人たちが、
本当にゲームをプレイして楽しんでいるのは、そのシナリオを
語るために万全に用意されたゲームデザインに他ならないのではないか、

それを、シナリオの良さに引き込まれているように、
ゲームが錯覚させることに成功しているのではないか、
と私にはそう思えてなりません。

仮に、映画も小説もあまり楽しまない人が、ゲームに対して
そのように感じているのであれば…
そうだとすれば、今度はいよいよ映画、小説の危機、
ひいては、「シナリオ」を娯楽とするメディアそのものの危機なのかもしれません。
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2007年08月07日 Game Culture トラックバック(0) コメント(0)












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