「日本は終わった」の理由 Game Programmer's (web)Log

「日本は終わった」の理由のページです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日 スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

「日本は終わった」の理由

しばらく前のことになりますが、とあるゲーム会社の元社員が、
退職後自殺したという話がネットのブログサイトに掲載されました。

ゲーム開発という仕事は常にハードワークが伴うものです。
それがコンシューマーゲームであればなおさらです。
当初想定していた仕様がすべて実装されれば開発終了、というわけではなく、
面白くならなければ作り直しですし、重大なバグが見つかれば、
原因を見つけ、修正し、チェックをする必要があります。
プレイの仕方は千差万別ですので、誰が遊んでも不具合がないように、
できる限りの時間をバグチェックに充てなければなりません。

ゲーム開発が大規模化し、開発環境が苛烈を極める中で、
私が今のゲーム開発者に対して強く思っていることがあります。


「日本は終わった。これからは世界だ。」

このような内容の発言をして、ネットで批判を受けているゲーム開発者の方が
いるのは私も知っています。
おそらくですが、批判している人は、このように受け取っているのではないでしょうか。

「日本(人のためにゲームをつくる時代)は終わった。
これからは世界(で受けているゲームをつくっていく時代)だ。」

こう解釈すれば、確かに日本人ゲーマーは怒るでしょう。
自分たちが支えてきたはずのゲーム会社に裏切られた気持ちになります。

しかしながら、私はこのように解釈しています。

「日本(的な開発スタイルが通用する時代)は終わった。
これからは世界(で取り入れられている開発スタイルの時代)だ。」


どういうことかと言うと、「日本人の強みを活かしたゲームを作るために、
世界で取り入れられている開発手法を取り込んでいこう」
ということです。

少し話は変わって、日本のソフトウェア技術者の間では、
以下のようなことが美徳とされていると感じます。

「何でも人に聞く前に自分で調べろ」
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」

私が思うに、そのようなことが美徳としてまかり通っている間は、
残業も休日出勤もうつ病も過労死もなくならないでしょう。
(もちろん、それだけですべて解決するものでもありませんが)

海外の技術者の間では、お互いの知識や経験を持ち寄って、
情報を共有するという活動が当たり前のようにおこなわれています。

日本でももちろんそういった活動をしている方はたくさんいますが、
イベントの規模や回数を考えても、欧米の方が進んでいるのは明らかです。
人口が多い、母国語が英語である、転職が当たり前の文化であるという点も
それを推し進める背景になっていると思います。

「努力して自分で解決する」ということはそれはそれで素晴らしいことですが、
弊害がないわけではありません。本当はもっとよい方法を持っている人が
いたとすれば、時間は無駄になりますし、結果も中途半端になります。

「人に聞く」ということはいろいろな効果をもたらします。
聞く側と聞かれる側で双方の知識を交換することで、もしかしたら
聞かれる側にも新しい見識を得ることがあるかもしれません。

「三人寄れば文殊の知恵」とはよく言ったもので、多くの見識の中から
見出された解法というのは洗練されているものです。

話を戻して、ゲームの作り方についても、昔ながらの日本のスタイルと
海外の最近のスタイルでは大きな開きがあるように思います。
話としてはここから、というところなのですが、
長くなるので機会を改めようと思います。
スポンサーサイト

2011年04月21日 Game Development トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。