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「最近の若い者は…」的な難易度のはなし

ご無沙汰しております。
新年度になりまして、新しく社会人になられた方も多いかと思います。

なんだかんだで、結構な年数をこの業界で過ごしておりますと、
フレッシュな方々との考え方のギャップに驚かされることも
少なくなってきた今日この頃だったりするわけですが、
そんな話を書きたいと思います。

ゲームには「難易度」と呼ばれる要素が存在します。
映画や小説のような受動的なメディアではなく、
なおかつ「障害」や「試練」という内容を持つ
一風変わったエンターテインメントであるビデオゲームには、
他のメディアにはない、この「難易度」という要素が、
非常に重要な位置を占めることになります。

世の中には様々なゲームの腕前を持つ人たちがいます。
ゲームを作る人間の使命のひとつとして、そういった幅広い方々に、
まんべんなく面白いと感じてもらえるゲームを作ることがあります。

これにはいろいろな方法があると思います。

例えば、プレイヤーが選択できる難易度を複数種類用意しておくこと。
古典的な手法ですが、やはりこれが一番分かりやすいでしょう。

また、プレイヤーのゲーム中の結果によって、
動的に難易度を推移させるという方法もあります。
プレイヤーがピンチのときには、有利になるアイテムが出やすくなるとか、
ダメージなどのパラメータをこっそりと調整するとか。
最近のゲームではこちらが多そうですが、
これも実は「ゼビウス」の時代からおこなわれている古典的な方法です。

最近ではダウンロードコンテンツとして、ゲームを有利にできる
コンテンツを販売するという離れ業まで現れました。

賛否両論あるかと思いますが、実際に需要はそれなりにあるようですし、
オンラインゲームではよく聞く話なので、これもアリでしょう。

何はともあれ、最近では、こういった工夫や配慮が施されたゲーム
かなり多くなってきたような気がします。

このようになってきた背景にはいろいろな理由があると思うのですが、
その中のひとつには、ゲームの中で「シナリオ」という要素が
非常に重要になってきたからだということもあるでしょう。


せっかくのシナリオであっても、ゲームが難しくて話の続きを
知ることができない、というのは不幸なことです。
そのため、開発側としては、難易度を低い方、低い方へ、
救済策を多数用意して、なんとかシナリオを最後まで
楽しんでもらえるように配慮しがちになります。

別の理由として、ネガティブな理由になりますが、
中古市場に流れるのを一時でも防ぐという意味もあるでしょう。
最後まで遊びきれない、と早い段階で判断されて、
そのまま中古に流れてしまうのは、ビジネスとしては
やはり避けたいところではあります。

となってくると、ゲームを遊ぶプレイヤーに芽生えるのは、
「ゲームは最後まで遊べるのが当たり前」という意識です。

この、「最後まで」の部分が、やはり人によって異なります。
エンディングを見られればいいや、という方もいれば、
クリア後のおまけも楽しみたいという方、
果ては、ディスクに入っている要素は一通り全部見てみたい!
というやりこみ派の方もいるでしょう。
攻略サイトや攻略本などを使って、全仕様を遊びつくす方も
いるかと思います。

ただし、そこで障害になってくるのが、
「プレイヤーの腕前の差」となります。
ゲームで遊んでいるのはやはり人間ですので、
反射神経や判断能力などには個人差があります。
どれだけ努力しても、100mを9秒台で走れる人には限界があるように、
ゲームの難易度にも「超えられない壁」のようなものは存在します。

困ったことに、前述した「やりこみ派」の方々の中には、
この「超えられない壁」を認めてくれない人がたまにいます。

誰が遊んでも難しすぎる、あるいは易しすぎる、
というのはもちろん論外ですが、ゲームを作る側として、
ゲームのうまい人から苦手な人まで、万人に楽しめるような
ゲームを作ろうと思った場合、どうしても、その端と端には
大きな溝が生まれてしまいます。

スキー場にしても初級コースから上級コースまであるように、
初心者が上級コースで滑っても楽しいわけがありませんし、
もちろんそれはコースの設計者も承知した上で設定しているわけです。

つまりは、初めから、端から端まですべてを楽しめるように
作られていないというゲームは世の中にはたくさん存在します。


さて、話は変わって昔話になります。

私はかなり昔からのゲーマーで、いろいろなゲームをプレイしてきました。
そのルーツのひとつには、もちろんファミコンがあります。
昔のファミコンのゲームには、「終わり」というものがありませんでした。
無限に続くステージを、延々と遊び続けるものもたくさんありましたが、
それでも楽しく遊んでいました。

そしてもうひとつのルーツに、アーケードゲームの存在があります。
何せアーケードゲームは、1ゲームでお金を投入させるビジネスです。
そうやすやすと長い時間遊ばせるわけにはいきません。
必然的に、ゲームの難易度は高くせざるを得ず、
エンディングを迎えられるゲーマーは尊敬の対象として見られました。

だからこそ、我々はおこづかいの中からゲーム代を捻出し、
何度も同じステージを繰り返しては、少しずつプレイ時間を長く、
先のステージを見ることに努力を費やしたわけです。



本当に余談ですが、「バーチャファイター2」などの格闘ゲームが
全盛だった頃は、ゲームセンターの筐体に女の子がたくさん集まっていた
という奇跡のような時代で、世の男性ゲーマーは、みんなこぞって
彼女らの注目を集めるべく、それはもう必死にゲームの練習をしたものです…
(遠い目)



さて、個人的な青春時代の回想はともかくとして、
そのような時代のゲームで育ってきた身としては、
ゲームに対する意識として大きく違う点があります。
それが、「ゲームはクリアできなくても当たり前」という点です。
ゲームという娯楽を、先ほどのスポーツといったものと
同じような視点で捉えているという意味です。

今でも、いわゆる「弾幕系シューティング」と呼ばれるジャンルや、
「リズムゲーム」と呼ばれるものは、私のようなそれなりの
ベテランゲーマーであっても、まるで門前払いかのような
仕打ちを受けることが多々あります。

これはアーケードゲーム、アクションゲームに限った話ではなく、
オンラインRPGでも、「レアアイテム」という、絶対に届かない存在
として同様に起きうることです。

世の中にいろいろな腕前のプレイヤーがいる以上、
いろいろな難易度のゲームがあっていいと思いますし、
私たちは、その中から、自分の腕前で楽しめるゲームを
選択すればいいのです。
もし、ひとつのゲームだけで、幅広い腕前のプレイヤーたちを
カバーできているのなら、それは素晴らしいことだと思います。

ときに、私が今プレイしている「Grand Theft Auto」という
超有名シリーズがありますが、これがまあ、びっくりしてしまうほど
難易度の高いゲームでして、
ひとつのミッションをクリアするだけでも
何度も失敗して試行錯誤するのが当たり前という敷居の高さです。

それでも、このゲームには、「次こそは超えたい!」と思わせる
絶妙なバランスと強烈なゲームプレイを持っていて、
だからこそ、世界中で600万本というギネス記録に載るほどの
人気を誇るということもうなずけるわけです。


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2009年04月14日 Game Development トラックバック(0) コメント(2)

最近のことは知らないので昔話になりますが、アーケードゲームはプレイ開始から3~5分でプレイヤをコロしにきますよね。
よくあるのは、1面はとりあえずクリアしてもらって2面でコロすパターン。ファイナルファイト2面ボスのソドムは良い思いでです。
p.s.
スパム扱いになったので一部カタカナにしてます

2010年08月11日 f URL 編集

◆fさん
間が空いてしまいましたが、ひとつずつご返信を。

最近のアーケードゲームの場合、「コロしにくる」ということがほぼないです。
弾幕シューティングで言えば確かにそうなんですが、
基本的には3~5分くらいの間でゲームが「終了する」ように出来ていると思います。
(もう少し長く遊べるかもしれません)
カードゲームは試合時間で調節し、音楽ゲームなら曲の長さです。
ある程度ゲームの時間がコントロールできて、インカムが予想できることが
現在では何よりも優先されているように思います。

2010年09月06日 ykyky URL 編集












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